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2010 10,07 19:44 |
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コメント |
余市を離れてかれこれ40年になる余市生まれの人間です。美園町でワイン用葡萄の栽培をいつ頃から始めたのでしょうか。私の知っている美園はリンゴ等の果樹が中心で、中には宮本さんという農家が乳牛を飼っていた記憶しかありません。昭和30年代に、サントリーがワイン用葡萄の栽培地として余市を選択したということを父から聞いたことがありますが、日の目を見なかったようです。余市は過疎化が進み、元気がなくなっているようですが、ワインに拠る町おこしを期待しています。
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書き込んでくれましてどうもありがとうございます。
Junjiさん、私と同年代かなと思います。 おっしゃるとおり、昭和60年頃まではりんご一色の町でした。もちろん日本で初めてりんごが実った地ですからね。それと、宮本さんは当時の場所から私の近くへ移り今も牛を飼っていますよ。 私も親の後を継ぎ、昭和60年頃まではりんごばかりを作っておりましたが、昭和57.・58年頃より日本国内のりんごが100万トンを超え、りんご過剰時代が続き、価格が暴落していきました。 若い私たち経営者は先行き不安になって新しい作物を探し、さうらんぼやぶどう、ハウス野菜などそれぞれに分かれ始めました。 私はワイン用のぶどうへ仲間7人と新しい道へ歩きました。 初めはサントリーと話を進めたんですよ。Junjiさんのいう昭和30年?私は昭和60年頃でしたけどね! 今年で26年になります。今の余市は36戸の農家で約100ヘクタール、1年に100万本位のワインが作られています。 私たちは日本のワインの歴史スタート地点にいる訳で、100年後がワインぶどうの大産地であることを夢見て頑張ります! Junjiさんも応援してくださいね!! 【2010/11/1413:24】||田﨑正伸#526f77214d[ 編集する? ]
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余市町のワイン用葡萄栽培の歴史は不明ですが、商業用ワインは昭和10年代まで遡ることができそうです。ニッカウィスキーに尋ねましたが、創業時の資料は散逸していて、不明でした。しかし、私が小学校高学年の頃、生家の物置で、英語表記のワインやブランデーのラベルが貼られ、ニッカの旧社名記載された瓶を多数見つけたことがありました。祖父が愛飲したものということは後日知りました。恐らくは生食用葡萄を使用したものと思われます。祖父は新し好きで英語を若いときは教えていたそうです。
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ニッカのぶどうによるワイン作りは我々と同じ時期です。
昔、アップルワインはありましたが…。 父に聞いてみましたが、昭和9年にニッカが創業しましたが、ちょうどその年の9月19日に大きな台風があり、町内のりんごがかなり落下し、ニッカがりんごのワインを作ったそうです。 【2010/11/1613:25】||田﨑正伸#526f77214d[ 編集する? ]
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メールが送れなかったので、こちらからご連絡させて頂きます(汗)
道産ワイン応援団が「北海道人」の取材を受けました。 「余市の7人侍」のお話しを記事にして頂きました。 http://www.hokkaido-jin.jp/contents/special/story_a/vol09/index.html 益々、余市が日本のワインをリードして行ってほしいですね~ |
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